| ■プロフィール |
1965年高知県生まれ。
幼少の頃、脊柱そくわん症を発病し中学3年生の春「リスクのある手術をするか、普通高校に通わず養護施設に入園するか」で悩み、やがてその後の人生に大きく影響をする決断をする。読売新聞「ヤンキー自分流に生きる」をはじめとして多くのマスコミの注目を集める。
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| ■経 歴 |
高校卒業後、米国化粧品会社の営業社員として百貨店に勤務。その後、大手派遣会社の管理部門で新システム立ち上げのプロジェクトの責任者、大阪の中堅外食企業(600名)で会社再編の管理職に入社1年後に就任。企業改革の実体験を通して、2003年人材育成会社を設立。
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| ■小学校に入学 |
あだ名は、「ガリ」と言われるほど痩せていました。私は学校で第一人者、はじめてメガネをかけました。あだ名は、「サル」。痩せて、メガネをかけ、しかも体に異変が…。
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| ■中学校に入学 |
1年生の後半から少しずつ踏み外していき、3年生で衝撃的な事実を知る。千人に一人、その中でも重い障害を負っていること、難病にあいその事実を受け入れる勇気がなく、やるせなくて荒れていきました。もはや言うまでもありません。はみ出し者へ一直線、爆進していきます。
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| ■高校に入学 |
1年生の3学期、手術を受けました。
手術を受ける前、ある二つの選択をしなければなりませんでした。だから手術を選択して…。
心の傷は、癒えることなくコンプレックスへと変わっていきました。
走り出したら止まれない、青春時代を謳歌していました。
素直になれず荒れ果てた三年間、これ以上申し上げられません。
この場をかりて、ご迷惑をおかけした方々に謹んでお詫び申し上げます。
つづきは…。
自叙伝「十五歳の決断」が出版されました。
一人の人間が青春時代に難病に苦しみながら、辛い手術に耐える闘病の記録、あるいは非行から立ち直っていく過程を描いています。この闘病生活で出会った人たちが、私の人生を大きく変えていきました。
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| ■社会人へ |
私は、日本代表、劣等感のかたまりでした。
はみ出し者だったから社会に馴染むには、時間もかかり自信のないダメ人間でした。
頑張っても頑張っても報われない時もありましたが、失敗を重ねながら成長していきました。学歴、資格がなくても社会で通用できる人間なのか、何度も試してみました。
大手派遣会社で新システム立ち上げのプロジェクトの責任者、当時600名の中堅外食産業では入社一年で、経理課長に就きました。
私は、カベにぶち当たったとき、いつも自分に問いかけてみます。 「この悩みは、自分の手で克服できないことなのか?」と。
勇気の一歩を踏み出す前に、「大切な自分」と向き合っています。
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